①おこりじぞう
解説
星になったおかあちゃん、絹ちゃんは、いまでも“炎の夜”を忘れません。
昭和20年7月10日は、大阪・堺市民にとって二度と忘れることのできない日となりました。戦争中の日本は、この年アメリカ軍の空襲によって、何百万人もの人たちが日本中で殺され、傷つき、焼け出されました。堺市ではこの日、1,860人もの人たちが殺され、970人以上の人々が傷つきました。私たちは、この悲しい過去を忘れてはいけません。
このお話は、大阪の「戦争体験を記録する会」がまとめた記録のひとつで、当時6才だった浜野絹子さんの体験をもとに、早乙女勝が平和教育の素材として一冊の本にしたものを原作に、平和人形アニメーションにしたものです。
ものがたり
大阪の古い町、堺。泣き虫の絹ちゃんは体の弱いお母さんと、まだ小さな赤ちゃんのみちと3人暮らし。
そのころ毎晩のように続く空襲は、日本中の大きな町を焼け野原にしていきました。
7月10日夜、B29の大編隊。大阪の町に雨のように降ってくる爆弾。火の海は絹ちゃんたち親子3人にも容赦なくせまってきます。
お母さんはこん身の力をふりしぼって逃げようとしますが、かつきて動けません。
3人で一緒に逃げようとする絹ちゃん。動けないお母さん。その時、迫る炎の中でお母さんがとった行動とは…。
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②おかぁちゃんごめんね
解説
日本の国が戦争をしていた昭和20年、広島の町に原子爆弾が落とされ、約14万人の人が死に、町は跡形もなく焼け野原となりました。
それから数年後の広島の町に「おこりじぞう」と呼ばれる、首と体がつながっていないお地蔵さんが立っていました。この首は元からのお地蔵さんのものではないようです。一体どうしたのでしょうか?そして、なぜ怒った顔をしているのでしょうか?
この映画は山口勇子さんが書いたお話をもとに人形アニメーションにしたものです。
この「おこりじぞう」の賞を通じて、核兵器の恐ろしさと平和の尊さを、親から子へ、教師から児童・生徒へと語りつがれることを私たちは期待します。
ものがたり
昭和20年、広島に住むひろちゃんは「わらいじぞう」と呼ばれる笑い顔のお地蔵さんと大のなかよしでした。
8月6日、その日はひろちゃんの6回目の誕生日。そして運命の日でした。
いつものようにわらいじぞうと遊ぶひろちゃん。柱時計が朝8時15分を指したその時、ビカッと光ると同時に、ものすごい音と大爆発。
一瞬で街が焼け野原になってしまいました。
「みず…おかあさん…みずちょうだい」と、わらいじぞうにすがるひろちゃんの背中は大やけどです。
その時、いつもにこにこしていたわらいじぞうの顔が…。
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③ながさきの子うま
解説
1954年3月1日、太平洋の中にあるビキニ島でアメリカが水素爆弾の実験をしました。
この爆発で、人間が病気になったり死んでしまうおそろしい灰がたくさんばらまかれました。
近くでマグロをとっていた「第五福竜丸」という船も、この灰をあびてしまい、23人が病気になり、久保山愛吉さんが亡くなってしまいました。
被害にあったのは人間だけではありませんでした。海はめちゃめちゃに壊され、たくさんのお魚たちも同じように海の病気になって寝たきりになったり、死んでしまいました。
“私たちは、この悲しい出来事を絶対忘れてはいけません”という思いをこめて、いぬいとみこさんの童話を原作にアニメ映画にしたものです。
ものがたり
いつも元気で明るいトビウオのぼうやは、お母さんと空を飛ぶ練習をしていました。
サンゴの海の上をビューッと飛ぶトビウオの親子。「ぼく、とんだ!とんだ!」と大喜びのトビウオのぼうや。
その時、突然火の玉のような大爆発がおこり、海の底はめちゃめちゃになりました。
友達は死に、トビウオのぼうや達のお家もなにもかも壊されてしまいました。
そして、空から白い灰が降ってきたのです。
それをかぶってしまったトビウオのぼうやは病気になり、寝たきりになってしまいました。
もうお父さんやお母さんと一緒に空を飛ぶことはできないのでしょうか。
一体なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。
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④トビウオのぼうやはびょうきです
解説
日本がまだ戦争をしていた昭和20年の夏、広島に原子爆弾が落とされ、たくさんの人々が亡くなった3日後の8月9日、長崎に再び原子爆弾が落とされました。
犠牲になったのは人間ばかりではなく、長崎に住んでいたたくさんの動物たちもまた犠牲になりました。
その中にはお母さん馬と子馬もいました。
この作品は、大川悦生著「ながさきの子うま」をもとに製作した平和人形アニメーションです。
長崎のかわいい子馬を主人公に、他の動物たちのユニークなキャラクターも加わり、やさしく平和と生命の尊さを伝えつつ「長崎を最後の被爆地に」の誓いと願いをこめて、幼い子どもたちだけでなく、大人たちにも送る作品です。
ものがたり
昭和20年、長崎の農家でとても元気のいい子馬が生まれました。名前を「いなさ号」といいます。
夏のある日、広島にすごい爆弾が落ちて街は全滅したと、カラスが教えてくれました。沖縄もやられ、日本中が戦場になろうとしています。
「私は、大変な時にこの子を産んでしまった…」母馬は、爆弾の落ちてこない山に、いなさ号を連れていこうと考えます。
山で暮らせると聞いて喜び跳ねるいなさ号。
その時、まるで太陽がまるごと落ちたような光と大爆発。
いなさ号は爆風で吹き飛ばされ、馬屋の下敷きに。母馬は必死でいなさ号を助け出しました。
しかし本当は、母馬も動けないほどの大怪我をしていたのです。