この国では、ハンセン病をわずらった人たちが、人間としての尊厳を奪われ、家族たちも差別と偏見にさらされる、いのちを削らなければならないという状況が続いてきました。
国は1907年に「癩予防ニ関スル件」を制定。ハンセン病患者を「強制隔離」するという政策をはじめました。そして政治家や法律家、宗教家やなんと医師までも、その過ちを見抜けず、無批判に「追従」してきたのです。それが1996年の「らい予防法」廃止まで、約90年も続いてきたのです。
この間、「人間回復」への闘いがこつこつと積み重ねられてきました。「ハンセン病は不治の病ではないし、遺伝でも、強烈な伝染病でもない、隔離は必要ない」と言い続けてきた一人の医師がいました。小笠原登は、一人の医師として、一人ひとりの患者に接し、患者を「隔離」から守ろうとしたのです。それは国という「厚く高い壁」の前には、小さな「抵抗」でしかなかったかもしれませんが、隔離の中で生きる人々に仄かな灯りをともしつづけたのです。
真宗の僧侶でもあった小笠原登を生み出した「土壌」と、彼をのみ込んでいった国策、それに歩調をあわせた真宗教団。そのような時代社会にあって、「ひとりになる」ことに徹することができた背景や、人との出会いを描いたのがこの作品です。