九州で初めて同和教育を始めた林力さん(99歳)、そのきっかけは父のハンセン病だった。昭和12年、父は国立ハンセン病療養所・鹿児島星塚敬愛園に隔離された。
差別が厳しかった時代、林さんは父の「隠して生きる!」という言葉に忠実に生きる。
教員となった林さんは、被差別部落の子たちと接する中で「水平社宣言」に出会う。
「隠して生きる」ことの意味を自らに問い続ける日々……。
「恥でないことを恥とするとき、それは本当の恥になる」——51歳で『解放を問われつづけて』を出版。
祖父の苦悩、自身の苦闘、すべてを一人娘の美知子に伝えたいという思いからだった。
「無知こそ差別の始まりである」——林さんは揺るぎない信念で反差別を貫き通す。
ハンセン病家族国家賠償請求訴訟では原告団団長を務め、勝訴。今も精力的に講演活動を行う。
娘は言う。「父は『ごめんね ごめんね』の旅を続けている……」と。