宇都宮辰範くんがベッド式車いすのまま天国に旅立って十六年だった。いまも天使たちに車いすを押してもらって、あちこち駆け巡っているのかなぁ。
彼は私より十歳ほど若いが、まちがいなく私の師匠だった。どれほど生き方の幅を広げてもらったことだろう。
彼と出会ったのは、私が四十半ばのころで、障害者仲間が「そよ風のように街に出よう」を合い言葉に、「そよ風」ならぬ「木枯らし」に立ち向かうように果敢に、なんの設備も配慮もない街に繰り出しはじめたころだった。宇都宮くんは先駆けの一人といってよい。
ちょうど障害者の市民運動をはじめたころの私は、彼の行動力、そして生き方に強烈に惹かれた。
しかし当初は「強い奴やなぁ」と圧倒され、憧れにも似た気持ちで「尊敬はできるけれど真似はしたくないなぁ」と思っていた。
「強者だけが生き残れるのは人間の社会ではない」との思いから、彼の強さに少し抵抗さえ感じていたのだった。
わがアパートに泊まってくれた初めて出会った日の夜、「ちょっと強すぎるよ」と率直に話してみた。
すると一瞬、笑顔だった彼の顔がくもり、しばらく間があって、「お前は頭でしか考えてない!体と心、全部で考えてくれよ」と言ったのだ。
「もし俺と同じ状態になれば、ほとんどの人は同じような行動をはじめる。ただし、俺を外へ連れ出したあのケッタイな青年のような奴との出会いもあってのことだけれど」と続けた。
この言葉に、ひょっとしたら私でも…と男気がわいたのだった。それとともに「ケッタイな人」の存在の重要さにも気づかされた。
ヘンな奴に出会うと、こちらの心が動き出すわけだから。
このアニメーションの基になったマンガ本『風の旅人』は二年前に出版されたが、その企画段階で、ぜひとも宇都宮くんの遺族に了解を得ておきたくて、初めて愛媛の彼の実家を訪ねた。
が、悔しいことに、彼の生き方にもっとも影響を与えたであろう母上が七年前に亡くなられていた。
でも、父上と五つ上のお姉さん、そして叔母さんにお会いでき、彼との思い出にしばし時を忘れることができた。
宇都宮くんは単に強い奴ではなく、むしろ他者の気持ちや世相を敏感にキャッチできる、デリケートで柔軟な心の持ち主だった。彼にあらためて惚れ直した。そして彼の遺志を継ごうと決心した。
宇都宮くんは「地球上の六十億の人間はすべてつながっている」と、いつも言っていた。
だから一度でも出会った人を「友」とし、その想いを日常生活で実践してみせたのが「キャッチボール式歩行法」だ。そうして一度でも出会う友を増やし続けたのだ。
自立とは何かを問いかける「重度健全者リハビリテーションセンター」も彼らしい哲学的発想だ。
この世に完璧な人間なんていない。一人の能力には限界がある。
「手伝って」あるいは「助けて」の一言が素直に出れば、どれほどラクになれるだろう。
助けてもらえば、自力では不可能なことも可能になり、どれほど世界が広がるか計り知れない。
「ほんとうの自立とは、他者の力をどれだけ借りられるか、にかかっている」と。これも彼の口ぐせのひとつだった。遺言のように思えてならない。
人間社会の共通ルールは「人に迷惑をかけるな」である。
しかし、われら障害者は、「絶対にかけてはならない迷惑」「かけたくない迷惑」「許される迷惑」「かけたほうがいい(かも)迷惑」*を使い分けて生きたいと思う。
そのほうが、人と人の関係がデリケートに、そしてダイナミックに展開していくように思えるからである。