昭和20年(1945)、大阪に住んでいた人びとも無差別の空襲によって、多くの尊い生命を失いました。二度とこのような不幸な戦争を繰り返してはならない。
平和の尊さを訴えるアニメーション映画!
平和な大阪、春、美しい桜の花・花・花。
日曜日とあって、大勢の行楽客で賑わっている。
その中に、山田幸子の家族(夫と三人の子供)も、お弁当をひろげて花見を楽しんでいる。
ふと、幸子は自分の子供に語りかけるように「私が六つの時だったわ」と、昔(昭和20年)を思い出す。
父は散髪屋をしていて、母と妹二人の五人家族で、毎日が幸せでした。
しかし戦争も激しくなり、大阪にも第一回(3月13日)の空襲があり、多くの人達が亡くなりました。
やさしい幸子たちは、「いつまた空襲があるかもしれない」と、可愛がっていた鳩のポー助を逃してやりました。
そして、6月1日。第二回、大阪大空襲。
鳴り響く空襲警報のサイレンと、無差別に落下してくる焼夷弾。
逃げまどう市民。幸子の家にも焼夷弾が落ちてきて、家が燃えだしました。
父は一番下の明子を背負い、母は敏子の手を引き、家族で避難する途中、突然—
「熱い!」と幸子が大声で泣き叫んだ。
焼夷弾の破片が幸子の右腕を切り裂いている。
父・利治は、必死で止血する。泣き叫ぶ幸子。
その時、背中の明子も、背中・尻・右脇腹に破片を受けて、すでに息はない。
「明子、明子!」と抱きかかえて、大声で泣き叫ぶ母……
妹の敏子も泣いている。
それは、瞬時の出来事であった。
空には数百機に及ぶB29の爆撃が、なおも続いている。
黒煙を上げ、吹き飛ぶビル、家々、火の海と化した大阪の街。
逃げる人達を直撃する。
黒い雨が滝のように降ってきて、空襲は終わった。
幸子は父と一緒に救護用のトラックに収容され、日赤病院へと向かった。
そして、広島・長崎と原爆が落下され、8月15日、敗戦となった。
幸子は右腕を失って、いろいろ辛いこともありましたが、再手術を受け、落ち着いた生活ができるようになりました。
いつも幸子の心に残っていることは——
中学生の時、運動会で一位になったことと、素敵な人とめぐりあって幸せな結婚、
そして、夫と三人の子供と、今ここに桜花爛漫の下で、人類の最高の幸せ「平和」を楽しんでいることです。
「戦争はもうええねん」「したらあかん」と、つぶやく幸子であった。