津波の襲来から28時間後、山と海に囲まれた宮城県南三陸町に、大阪・毎日放送(MBS)の取材チームは入った。
阿鼻叫喚を極める混乱の中、行政の機能はパンクし、警察も消防も医療機関も自衛隊もメディアも、目の前のことをどうするのかで精一杯だった。
テレビの初期報道は、各地の被害を連呼し、全国から被災者を励ますメッセージを送り続けていた。
しかしメディアは、復興の音が聴こえるかのような新たな動き、映像的にインパクトのある出来事やドラマチックなストーリーを追い求め、人々のかすかな息づかいには次第に振り向かなくなる。
果たして伝えるべきことは何なのか?
このままでは「震災報道」は風化し、そして形骸化していくのではないか。
マスコミが捉える「被災地の人々」という群像ではなく、顔の見える被災者の静かな思いを伝えたい。
MBSの取材チームは、「絆」や「希望」という言葉だけでは表現できない被災地の日常を記録することにこだわった。
生と死が混在し続ける被災地を見つめ続けたドキュメンタリー。